2015年10月25日

変わるモノ・変わらないモノ・変えられるモノ・変えられないモノ

横書きの文字ばかり読んでいる。
報告書・教科書・実用書・論文などなど、いつの間にか読んでいて肩に力が入っている。

自分は今特に追っかけている作品も作者さんも無いので、何かのキッカケがないと活字に触れない生活をしてしまっておりました。
この記事のタイトルはとある小説を読んでの感想(?)なのですが、なんだかわかりますかね。
景品はおビール一杯ということで。
ヒントは、母親におすすめしたら一ページ読むなり「君みたいな大学生っているんだね」って言われました。心外です。

いやしかし作家さんの良い日本語は読んでいて気持ち良いし愉しいですね。
言葉遣いが多彩で的確で妙味があると言うか。
一冊本を読んだら一単語でも盗んで自分のものにしていきたいわ。

口調・語り口を作品に合わせて変えるのも私には真似できません。
正直にいうとここで試してみるかと思ったのですが、シロートには一文も書けませんでした。
おそらく僕の最近の書き方は、夏休みにインターネットから隔離されたばーちゃんちに置いてあった「神様のカルテ」に多少影響されております。
その中で引かれている言葉で、セオドア・セレンソンの「良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬だ」って言葉は刺さりましたね。


どうして「言葉」にこだわってるかって?...聞いてないって?
今の研究で機械学習をやっているわけですが、その対象が言葉だからです。
実は言葉には「書き言葉」と「話し言葉」の二種類あって、そのうち話し言葉についてあれこれ考えています。
この違いについては…又の機会に書くかもしれません。気になるようだったらググるか僕にビールを飲ませてください。


数日前に「人工知能で人類滅亡の脅威、国連で専門家が警鐘」なんてのがタイムリーに話題になってましたね。
ここで、この前の記事に貼っとけばよかったリンクを1つ。

watsonとはアメリカのクイズ番組で、人間のクイズマスターをやっつけた人工知能ですね。
彼が世界中の料理のレシピを学習して、そのルールから独自に考案したレシピが公開されています。
おそらく「踊る梅雨前線」よりは食える料理が並んでるんでしょう。完敗であります。


なんか何について書くか考えてなかったので、取り留めのない感じになってしまいました。
まあ普段は報告書やらメールやらスライドやら、頭を悩ませて書いてばっかりなのでたまにはお許し下さい(?
ではでは。
posted by marpore at 03:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月20日

早く人間になりたーい

もうすぐ高校の文化祭の季節だなとふと思ったわけです。
自分の歌声がガッツリ収録されて三日間も垂れ流される経験を思い出して心にしまった。
まーあの頃はただただ楽しかったなー。
この短い人生で一番前向きに忙しかったタイミングだったと思いますわ。

文化祭の話は尽きないので一旦終わり。
今の自分は機械学習とか人工知能を勉強しているわけですが、これは何故かと。
我ながら真面目な話になりそうで怖い…

今の機械学習は、言ってしまえば大量に集まるようになったデータから、その隠れた法則を学習しているわけです。
要するに、人間の作ったもの・産みだしたものをいっぱい見て真似してるだけですね。
音声認識も画像認識も、認識系は基本的にこんなもんです。

その枠組みを生成っぽく使うと、人工知能のように言われるんじゃないでしょうか。
機械翻訳とか画像変換とか将棋AIとかかな。
この辺とかパッと見ると、おすげえって感じるのは僕だけでしょうか?

ただ、これも人間が作った大量のデータから何かしらの法則を見出して適応しただけで、真の意味で「創造した」わけではないと。
全く無の状態から何かを生み出せるのは人間だけだと。



そう思ってた頃が僕にもありました。
最近ある巡り合わせからある種の創作に手を出してみたんですが、これさっぱり手が進まない。
結局最初のうちは上手い人のものを参考にして真似して勉強するしか無い(そうです)。
そういえばサークルで冊子をまるっとデザインした時も似たようなことを感じたんですよね。

何が言いたいかって、人間も人工知能も学習のプロセスはあんまり変わらんのじゃないかと。
そしたら何が違うのか、何が違って見えるのか、これに今興味があります。
もっというと、自分は人工知能とどう違うのか、もしかして一緒なんじゃないかとかね。

機械学習と人工知能をごちゃっと使ったり、だいぶ説明を端折った気がする。
ま眠いから許してもらお。
...眠いのは人間だからなんですかね?
posted by marpore at 02:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

消えた冷蔵庫のプリン

長く空けているとタイトルやら書き出しが難しいものです。
M1らしくM1らしからぬM1の夏休みでも纏めておくかと思っているのですが、今日はあっさり。
夜ご飯が温まるまでにサクッと書いてみる程度の内容です。

タイトルにもあるんですが、土曜日から楽しみにとっておいたプリンが消えていました。
今時漫画にもならないような話ですが、実話です。
ただ、食べ物の恨みは怖いっていう話がしたいわけではなくて。

いささか唐突ですが、人類の幸福を最大化することを考えます。
(ここから機械学習っぽい単語が並ぶかもしれないです)
人類全体の幸福関数があったとして、その最大値や勾配を直接求めることは困難でしょう。
そこで、人類全体の幸福を人間一人一人の幸福の和であると仮定します。
そうすると、それぞれの人間が幸福であるように生きれば、人類全体が自然と幸福になるであろうと。
要するにみんな自分に幸せに生きろということです。

ただある人の幸せが別の人の不幸せだったり、その逆もあったり、さらに自分の幸せすらなんだかよく分かってない人もいたり。
そんな簡単じゃないのはまた別のお話。

その考え方に基づいて、僕は「自分がいちばんプリンを食べたい時」に備えて冷蔵庫にとっておきました。
そのプリンを食べた人は、きっと「僕がプリンを食べることによって得られる幸せ」より「自分がプリンを食べることによって得られる幸せ」が大きいと判断したのでしょう。
きっとね、きっと。それならしょうがないね。

そう思ってオトウト君に聞いてみたら、賞味期限が切れそうだった、から、食べたらしい。
なるほどね、しょうがないね。

おわり。
posted by marpore at 22:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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