2015年11月28日

「どんな事柄にも意味があると思うのは、人間の悪い癖だよ。原因を探そうとするんだ」

 とある大学院内の研究発表会を終えたところ。
ここ数日は堅苦しい文章と慣れない英語を書かされていたせいで、文字を書くのが億劫になりつつある。
どうも論理をはっきりさせて書かないといけない文書になると、自分の使う単語が露骨に偏るし、文頭に接続詞を付けたがるらしい。
自分で書いてて嫌になっちゃうわ。

自分の研究テーマは好き(に思い込めている)はずなんだけれども、いざ対外発表となると、自分でもつまらないと感じる書き方をしてしまう。
エッセンス部分を記号的に取り出してくっつけたような書き方。

ただ、考えてみると、研究に限らず、自分とか自分の何かを対外的に発信する・表現するのは苦手だったなと。
某塾の某先生に言われた言い方をすれば、「わざと最初自分で下げておく生き方」だっけな。
そしてこういう風に他人の言葉を借りて何かを発信しようとする卑怯さよ。

しばーーーらく前にぽろっと呟いた記憶があるんだけれど、表現することによって本当の自分の小ささ(大きさ?)が透けて見られるのが怖い。
多少マトモなことを何かをこのブログで書くのも怖かった。
自分がつまらない人間だと知られてしまうのが怖い。
最近は見る人も減っただろうという甘い考えとか、どう思われてもいいやっていう投げやりな気持ちとか、それとチョットの承認欲求で書いている。

表現って言うのは、別に文字で綴るだけじゃなくて。
何かを新しく自分で作ったとき、それは自分の何かを表現しているはずだし、そうじゃなきゃ何かを作らないんだろう。

だから、僕は何かを作ったことが無い気がする。
少なくとも一人では。少なくとも人に見せるものは。

だから、それでも自分と向き合って勇気を出して表現しようとする人は尊敬するし、その表現したものを知りたいと思う。表現することを止めないでほしいと思う。
などなど。

ま、つまるところ研究するより論文書くよりスライド作るより、何か作りたいなと。
来月は交流会でポスターと、某社のインターンで人工無能と、某イベントでゲームAIを作るようにしてみた。
どうなるかな。

なにかかわるのかな。
posted by marpore at 02:21| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月08日

スタンプクリエイターで生計を立てたい

タイトルがオチです。


今週は高校の文化祭に就活交流会?に先生の退官パーティーとまともに活動していなかったので、慌てて休日出勤です。
高校の文化祭は、今年も正当に進化してましたね〜
何より僕らが高3の時にした外装を、当時中1だった子たちが高3になって再現してくれたっていうのが特に嬉しい。
まー会計だった僕はポスターのネタにされるくらいしか貢献してない気がするけども。(トリさんAIデータ見つかったらちょうだい)
当時は会計なんて雑務は誰にでも務まると思っていたものですが、最近はそんなこともないのかと思い直しちゃったりして。
昔話はいいんだって。


前回まで比較的真面目に研究に近いことを話していた気がするので、今回まで続き。
これで僕の真面目成分は枯れ果てるので、今後数十年はちゃらんぽらんな回が続くんじゃないかな?

話し言葉と書き言葉の違いについてサクッと触れたんでした。
話し言葉を書き起こしたものが書き言葉ってほど単純な話ではありません。
....そもそも僕からすると、どこの国も話し言葉と書き言葉が近い関係にある方が驚きなのですが。(無知なだけか?)
話し言葉は一直線に文字を並べて書き起こすことができて、これは書き言葉と見た目上は変わらなくて。
別に話し言葉と書き言葉が別モノで、もっと二次元上に自由に抽象的に"言いたいこと"を書き表すような言語があってもいいと思うのですが。
もっとも、それが絵なのかもしれないけれども。絵って言うと敷居が高く聞こえちゃう。

話を戻して、これらの比較の話でした。
ちょうどいいので輪講で作った資料を貼っちゃう。
ws_lang.png

要するに、共通点としては、どっちも文字面の言語的情報は含まれているというとこ。
相違点として、書き言葉は
・時間空間を隔てて伝えられる
・離散的に記号化されかつ文法に則っているため処理がしやすい
のに対して、話し言葉は、
・非言語情報が含まれる
あたりがよく挙げられるわけです。
非言語情報っていうのは、音声に限った言い方をすれば、言葉に表れないけれど受け手に伝わる情報(話者の性別・年齢・出身・性格・感情など)を指します。


ここで、この違いを突き詰めるんではなくて、その間を見てみる。
教科書とかを読むと、書き言葉の例として本とか手紙とかが挙げられていて、話し言葉は対面で話すことが想定されていて。
ただ、今の情報化社会では、電話もあれば掲示板、SNSからチャットまで色々あるわけです。
こいつらはそれぞれどっちに分類されるのかと。

何かと流行っているのでLINEを取り上げてみる。

こいつの特徴的なところとして、「既読」(受け手が読んだかどうかが書き手に分かる)っていう、パット見気持ち悪い機能があります。
ただ、この違和感はLINEが書き言葉を伝えるツールだと考えるから生じるものであって。
「既読」をつけることで、話し言葉により近づけて、その結果流行ったのかなと。

もうひとつの特徴として、「スタンプ」ってのがありますね。(これら以外は特に知らない)
スタンプの原型として顔文字があると思うのですが、これらは話し言葉とも書き言葉とも言えないもののように見えます。
文字にすると微妙な感情とかニュアンスとかを伝えるのに使うのかな(?)
自分の趣味を見せつつ(?)、言葉で伝えづらい内容を表すのには便利に機能するんじゃないでしょうか(?)。
あんまり使わないのでよく知らないのですが。


もちろん、どっちがいいとかどっちが悪いとか、どの塩梅がいいとかを言おうとしているんではなくて。
(得意苦手はあるかもしれませんが(>_<)

個人的に、便利さにかまけて何かを疎かにはしたくないと心に決めていて。
顔文字やスタンプ、twitterとか○厨に見られる「テンプレート」文あたは、使用範囲が広くて、面倒な言葉選びもなくて、ふわっとしていて、受け手にも波風立てにくくて、まー便利なわけです。
ただ僕は不器用なので、こういうのに頼りすぎていると、自分の語彙が減っていくだけじゃなくて、いずれ自分の伝えたいことをピンポイントで伝えられなくなる不安があって。
更にいうと、自分の考えとか感情すらどんどん曖昧にしか捉えられなくなっていくような気がして。


そんなことを考えていると、たまーに書き言葉を書くとき思ったことを色々と書きたくなって、こうも長くなってしまうわけです。
自分の絵が下手な理由の一つに「描きたいことを全部描いちゃう」ってのがあると思うんですよね。物理的に見えなくても特徴を描きたくなっちゃう。
調べてみると、これはご存知キュビズムです。実はピカソと発想が近かったんですね。

そんなわけで、芸術的なLINEスタンプを描いて小金稼ぎして、旅行して美味しいもの食べたい。

posted by marpore at 11:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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